第3回 多文化共生を促進する元明学生訪問:矢代萌香さん

 内なる国際化プロジェクトに関わった学生や卒業生を紹介する連載の第3回。今回は、大学4年次に「多文化共生ファシリテーター」の認証を受けた社会学部・社会福祉学科の卒業生、矢代萌香さんにお話しをうかがいました。現在の活動の様子、そして学生時代の活動と学びについて語ってくださいました。

子どもたちの胸がときめく瞬間をつくりたい

 今は主に教育事業とイベントの企画と運営で、子どもたちの胸がときめく瞬間をつくって、子どもたちが自分のやりたいことや自分が面白いと思うものを発見するきっかけの場をつくりたいと思って放課後の学習ルームを運営しています。願いを込めて「あおぞら学習ルーム」と名づけました。来る時間も何をやるかも自由。人とのかかわりや様々な体験を通して学ぶ場を提供しています。
 千葉県の柏市でやっています。学習ルームを始めたきっかけですが、まず私は、子どもが寄り集まる場所と言えば「駄菓子屋さん」、親でも学校の先生でもない大人がいつでも迎えてくれ、コミュニケーションやお金の仕組みを学び、時には誰かの居場所となる可能性を秘めている「駄菓子屋さん」と考え、駄菓子屋さんを始めようと思っていました。そこから考え行きついたのが、「駄菓子屋さん」をコンセプトにした学習ルームでした。今後はお隣の鎌ケ谷市に広げていきたいと思っています。

個人事業主になるっていうことは

 大学4年生になる前、在学中に個人事業主になりました。その後も今年の4月から社会人として個人で活動をしてます。一時期は就職活動もしていて、教育系の塾とか出版社の説明会に参加したり、インターンに参加したりしました。やりたいことが心の中では何となく決まっていて就職活動をしていたので面接官の方にもそれが伝わって…。このままではいけないと思って就職活動はやめて3年生が終わる3月にもう個人でやろうと決めて、「駄菓子屋さん」という事業内容で税務署に申請書を出しました。
 個人事業主としての屋号もあるんです。スペイン語で「hilo」(イロ)。糸っていう意味なんです。子どもたちの未来を紡ぐという意味で名付けました。「人と人とがつながって子どもたちの未来へつなぐ」をコンセプトにしています。

すべてに開かれた学習の場をつくりたくて

 「学校でも塾でもなく駄菓子屋さんのようにふらっと立ち寄る学びの場」をコンセプトにうたっています。いろんな障害がある子だったり外国にルーツを持つ子だったりって分かれた支援というのはたくさんあると思うのですが、そういう子たちすべてに開かれた学習の場をつくりたくて、いずれはそこに来てくれた子どもたちの中でさらに支援が必要な人たちをより専門的な組織につなげられる仕組をつくっていきたいと思ってます。
 「あおぞら学習ルーム」に加えて、「さぽうと21」(内なる国際化プロジェクトが連携している社会福祉法人)の活動に週3回参加しています。そして、専門的な知識を身につけた上で子どもと接するべきだと思い独学で保育士試験を受けて合格できました。今月から保育士として保育園勤務も始めました。今は子どもたちとかかわりながら子どもたちからも学んでいきたいなと思っています。平日の昼間は自分の活動があるので、夜勤勤務がメインです。コロナ禍での医療従事者の方のお役に立てたらと思って院内保育園に勤務しています。

ここだと思って決めました

 小学生のときから何となく人の役に立ちたいというのがありました。二分の一成人式のときに私はバレリーナになってそのお金を世界の貧しい子どもたちに寄付するんだと言っていたのを覚えています。高校では将来医療系に就きたいと思っていて、薬学部に進もうと理系クラスに入ったのですが、経済的な問題もあり、進路をもう一度考え直さないといけなくなったときに、社会福祉という道、学問があるということを知って、ここだと思って決めました。社会福祉で子どもについて学びたいと思って明学に入りました。
 ゼミに入ってカンボジアを訪問しました。貧困で公立の学校に通えない小学生から中学生ぐらいまでの年齢の子どもたちが通っている学校で日本語と算数の授業を2日間行いました。ゼミのメンバーがみんな真面目で目標を持って学んでる人たちだったので、現地に行っても夜遅くまで準備していましたし、自分もすごい刺激を受けて準備をしたので、私たちも楽しかったですし子どもたちも楽しく充実した時間を過ごしてくれたんじゃないかなって思ってます。
 卒論のテーマは、子どもにとってのきっかけの場っていうのはどういうものか、子どもたちの何かが変わる瞬間のきっかけというのはどういうものなのかをテーマに書きました。主体的に学ぶきっかけ、探求心を持って学ぶきっかけというのはどこにあるのだろうかとか、大人がどうかかわっていくのだろうかということを書きました。

「内なる国際化プロジェクト」に出会う

 新垣先生の「内なる国際化論」の授業を受けて、課題とかもすごい大変だったんですけれども、すごく面白くて、自分の身近に難民がいるということに衝撃を受け、世界の課題と自分がこんなにつながっていることに気づくきっかけになりました。そこから難民等外国につながる子どもたちのための学習支援活動から内なる国際化について学ぶ矢部先生の「ボランティア実践指導」という授業を選びました。コロナ禍での夏休み学習支援はオンラインになりました。子どもたちと直接会ってお話ししてサポートしたかったという思いはありましたし、やっていく中で対面だったらできただろうなとか、対面のほうがやりやすいだろうなと思うこともありました。でも一対一のオンラインだからこそ深くかかわれることもあったので、このオンラインの学習支援があったからこそ感じられたことはすごく多かったと思います。

分けるんじゃなくてみんなにオープンに

 難民という言葉でひとくくりにされている子どもたちにも一人ひとりまったく違います。背景もそうですけど子どもたちの雰囲気も性格も置かれてる状況も全然違います。そういう面もありながら普通の子どもと変わらない子どもらしさも感じました。その経験が今の学習ルームを「分けるんじゃなくてみんなにオープンに」という、そのときの自分が感じたことが今につながっていると思います。
 直接子どもと会ったのは大きかったなと思います。3年の最後の頃から「さぽうと21」の運営する稲毛海岸の教室に行って、その子たちの受験まで伴走したいという思いがすごく強くなって、もうやめどきが分からないのですけど、一生続けるだろうなと思います。

まだまだやりたいこと

 すごく大きな夢ですけど、いずれは市から事業委託されて学校の中で活動を広げていきたいと思っています。公立の小学校にはいろんな子どもたちがいるので、その子たちがちょっとふらっと、それこそふらっと立ち寄る教室が学校の中にできたらいいなと思っています。
 何となくお話を聞くのが上手なスクールカウンセラーがそこにいて、たまたま話したらそういう人だったというような場所。一応学びの場、学習をする場としてそこにあるけれども、雑談してそういう話になったときに、それに応えられる人だったり年が近い人がいたりという場所になったらいいなと思ってます。

いろんなところに足を運んで吸収していく

 大学生時代に社会福祉学科と「内なる国際化プロジェクト」で学んで、自分の地元に興味を持ったので、市の市議会議員の方にアポを取ってお話に伺ったりとか、市の子ども食堂をやってる代表の方にお話を伺ったりとか自主的に自分でやっていました。大学のゼミ(明石ゼミ)が、みんな学校の教師とか児童養護施設で働きたい、日本語教師になりたい人が多いゼミだったので、そういう中で、みんなでこういうことやりたいねとかよく話していました。あと、子どもたちとかかわる中でこうであってほしいという自分の理想みたいなものが自然と自分の中でつくられていったのかなという感じはあります。なるべくいろんな大人の方に会って、いろんな職業の方に会ってお話を聞いて、どんどんいろんなところに足を運んで吸収していくのが一番だと思います。

学生のみなさんへのメッセージ

 自分が大学で学んでいる専門領域、私だったら社会福祉ですけど、そこに内なる国際化の多文化共生という学びが加わることによって、そこから重なるものや、さらにそこから広がって見える世界というものは絶対にあります。そこから新たな自分を発見する可能性はすごくあると思います。
 普通の学生生活の中でも勉強だけじゃもったいないので、いろんなところに出て行っていろんな人と出会って、そうしていく中でもっと学びたいという気持ちが出てきて、それがどんどん、どんどん楽しくなっていくと思います。
 学生生活、サークルだけでも楽しいですし、ゼミだけでももちろん楽しいのですけど、大学で学んでること自体がすごい楽しいと、ほんとに4年間、言葉で表せないぐらい充実というか最高の学校生活が送れると思います。
 何かそういうふうに自分から動かないと、大学生ってなかなか今いる状況から抜け出られないと思うので。
 コロナで悔しい思いはたくさんしてますし、今から入って来る学生たちは高校生活も、いろんな思い出づくりも制限されてたと思うのですけど、だからこそ大学に入ってもうちょっと自由な場で自分が動けば変わる世界だと思ってるので、そこを思い切り楽しんでほしいな、って思ってます。

【注】コロナ禍の卒業式での矢代さん。本文中の写真は矢代さんが運営する学習ルーム。